一定期間更新がないため広告を表示しています
道場バンザイ道場で実践される剣の道の本筋と、近くもあり遠くもある話を、師範・剣士 黒澤雄太が少しばかりくだけた調子で綴るエッセイのほか、道場からのお知らせなどを掲載します。
師範の大伯父である作曲家・須賀田礒太郎の作品を集めたCD。小松一彦指揮、
神奈川フィルハーモニー管弦楽団演奏。音楽評論家・片山杜秀さんによる渾身の
解説つき。
須賀田礒太郎についての細かいことはbutokuin.comにて。 ・ タワーレコード ・ HMVジャパン株式会社 「宿無し興道」といわれた昭和の名僧が語りおろした戦前からのベストセラー。 この本に出会って生きる力のわいた人は数知れず、その力は今もって衰えるどこ ろか、 こういう時代だからこそもう一度この本を読むべき。
インドに一億人以上いる仏教徒の指導者は佐々井秀嶺師という日本人僧侶だと いうことを皆さんはご存知ですか? この本はその佐々井師の破天荒な人生を描いた大著。
岡本太郎は情熱的で、わがままで、自分の意見をはっきり持って曲げずにいな がら、人に好かれる男。 そんな男の内面からわき上がる命のエネルギーを言葉にした本。 絵や他の作品も素晴らしいけど、これを読むと太郎の見方がより多面体になる。
世に伝書のたぐいはいろいろあれど、この一冊にそのエッセンスを凝縮した良書。 抜粋なので、これを手始めに興味がわけば本編も読んでみればよし、 そうでなくても味読すれば得るところ多し。
「岸和田少年愚連隊」の中場利一氏によるエッセイ集。 遊んで暮らすっていうのもかなりの体力と精神力が必要だ。 だったら普通に働いた方が安穏だよ凡人は、と笑いながら思う。
人生に必要なのは勇気とわがままと忍耐だとヘッセはいう。 服従を強いられるこの社会の中で、世の法律などに服従するのではなく、 我が心のままに従えと説くわがまま礼賛の書。
|
2016.10.24 Monday
諏訪大社奉納演武を終えて
去る10月22日、諏訪大社 上社 本宮 神楽殿での奉納演武を無事執り行いました。 神楽殿は国の重要文化財であり、諏訪社の古来からの信仰のライン、つまり山(御射山)、石(硯石)、水(天流水舎)にまっすぐ連なり、神々の力を直接的に身体に受けられるような感覚がありました。 演武前の昇殿参拝のおりに、祝詞をあげていただき、玉串奉納もいたしました。 その時に神主さんが、「諏訪の神はもともとは水の神、風の神でしたが、神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定の時に諏訪大神の神助があり、それ以来、戦神としての信仰も集めています。今回は真剣試し斬りの奉納演武をなさるそうですが、諏訪の大神さまはきっと、それをみることを喜んでおられます。」とおっしゃってくださいました。 その言葉は、まさに我が意を得たりでした。 諏訪の神の起源は、一説には縄文中期にまでさかのぼることができるといいます。 その長き時間のあいまに、私の剣が一閃する刹那、諏訪の大神に我が生の存在を表明できればという思いで奉納いたしました。
追記 諏訪の大神は龍神でもあります。 龍族の私は、来るべくして、ここに来たと強く感じました。 演武をご覧になりたい方は、次回の「殺活自在の流儀」に、ぜひいらしてください。
2016.10.13 Thursday
諏訪大社で奉納演武
今年の奉納演武は諏訪大社 上社 本宮で執り行うことになった。 なぜ諏訪大社なのか、理由を言葉で説明するのは難しい。 ただ導かれて、というのが本当のところのように思える。
我が家に諏訪大神の掛け軸がある。 道場が今の寺に移転した時に、ある女性が届けてくれた。 しかし、この女性が誰なのかわからない。 自分の居ぬ間に寺に来て、私に渡すよう住職に頼んで去って行ったそうだ。 もう10年も前のことで、その女性のことはいまだ謎のままだが、私はきっと諏訪社の女神「八坂刀売神(やさかとめのかみ)」がどなたかに憑依して、私にこれを届けたと思うことにした。 諏訪大社は武神であり、龍神であり、女神でもある。 これらの要素は、すべて自分に縁が深い。 またその信仰の起源は、縄文時代中期にまで遡ることができる、大変シャーマニズム的色彩の濃いものだ。 今回の奉納演武を機に、諏訪大社の歴史を勉強すればするほど、興味は尽きない。 刀の技を奉納することによって、諏訪の神々と一体化したいと願っている。
日本武徳院試斬居合道 諏訪大社 奉納演武 10月22日 14時 正式参拝 14時30分 奉納演武 諏訪大社 上社 本宮 神楽殿
2015.10.18 Sunday
奉納演武 三嶋大社
17日の土曜日、三嶋大社にて奉納演武を執り行いました。 大社は二年ぶりですが、源氏ゆかりの神社だけあり、凛とした氣にあふれ、気持ちのよい奉納ができました。 午前中は雨が降り、天候が心配でしたが、横浜から三島に近づくとともに雲も晴れ、太陽が顔を出して暖かくなりました。 奉納演武とは、神仏に剣の技を奉納するものです。 たまたまそこに居合わせた人は、奉納する姿を目にするのですが、本来は人に見せるものではありません。 もっと言えば、剣の技自体、元来人に見せるものではなく、剣士の修行として剣技を磨くとともに、人格や人間性を錬磨するものです。 しかし昔も今も、その辺を勘違いして、あるいは作為的に誤解を与えて、小手先の技を見せびらかす人も多いようです。 江戸時代「居合い抜き」というのは、大道で居合の早抜きをして「反魂胆(ハンゴンタン)」という腹痛の薬を売った、いわゆる「香具師」たちの行為を言います。 これは曲芸の類いで、武士道ではありません。 やっていたのも、もちろん武士ではありません。 現代でも、居合や剣術の修行者は、それが武士道の系譜にあるのか、それとも香具師の系譜なのか、その辺の消息をはっきりと自覚しないと、剣が間違った方向に進むので要注意です。 己の修行は間違った方向に進んでいないか、神仏の前で奉納することで、足下を見直すことにも繋がります。 三島の大神は、源頼朝が崇敬したこともあって、源氏の武将たちが祈りを捧げた神社です。 その大神の前で頭を垂れ、真摯に剣の技を奉納することで、時空を超え先人達の魂と直接繋がり、小さな自我が溶けていくような感覚を持つこともできるのです。 我が道場では、奉納演武をそのようにとらえています。 日本武徳院試斬居合道 師範・剣士 黒澤雄太 入門・見学案内 1/1 |