道場バンザイ

道場で実践される剣の道の本筋と、近くもあり遠くもある話を、師範・剣士 黒澤雄太が少しばかりくだけた調子で綴るエッセイのほか、道場からのお知らせなどを掲載します。
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この時代に真剣を持ち、剣の道を志すとは、ただ単に剣の歴史や文化といった狭い範囲に止まることなく、すべての先人達が残してくれた大いなる遺産である日本の歴史や文化に剣を持ってわけいり、自分自身の身体と心で丸ごと飲みこみ、咀嚼し、そしてそれを体現することだと僕は思っています。(本文より抜粋)
真剣----初めてそれを手にした時、老若男女を問わず、みな目を輝かせ、喜びにあふれた表情をするという。人の心の奥深くにある、最も原始的で純粋なところをぐっと掴んで放さない、「真剣」の魅力とは何か。試斬居合道の道場を主宰する著者が、その真髄を伝える。

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セブンアンドワイ
師範の大伯父である作曲家・須賀田礒太郎の作品を集めたCD。小松一彦指揮、 神奈川フィルハーモニー管弦楽団演奏。音楽評論家・片山杜秀さんによる渾身の 解説つき。
須賀田礒太郎についての細かいことはbutokuin.comにて。

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剣と禅との関わりの深さを、自らが僧侶であり直心影流の剣士でもあった著者が さまざまなエピソードを通じて親身に語りかけるように著した本。
「宿無し興道」といわれた昭和の名僧が語りおろした戦前からのベストセラー。 この本に出会って生きる力のわいた人は数知れず、その力は今もって衰えるどこ ろか、 こういう時代だからこそもう一度この本を読むべき。
インドに一億人以上いる仏教徒の指導者は佐々井秀嶺師という日本人僧侶だと いうことを皆さんはご存知ですか? この本はその佐々井師の破天荒な人生を描いた大著。
岡本太郎は情熱的で、わがままで、自分の意見をはっきり持って曲げずにいな がら、人に好かれる男。 そんな男の内面からわき上がる命のエネルギーを言葉にした本。 絵や他の作品も素晴らしいけど、これを読むと太郎の見方がより多面体になる。
題名に反して小難しい論ではなく、紅顔の噺家達に向けて書いたエッセイ集。 師匠の小さんとのくだりや自分の弟子に対する気持ちなど、 大変勉強になり気付きに繋がるところの多い本。
「禅的生活」玄侑宗久
世に伝書のたぐいはいろいろあれど、この一冊にそのエッセンスを凝縮した良書。 抜粋なので、これを手始めに興味がわけば本編も読んでみればよし、 そうでなくても味読すれば得るところ多し。
「禅的生活」玄侑宗久
「岸和田少年愚連隊」の中場利一氏によるエッセイ集。 遊んで暮らすっていうのもかなりの体力と精神力が必要だ。 だったら普通に働いた方が安穏だよ凡人は、と笑いながら思う。
人生に必要なのは勇気とわがままと忍耐だとヘッセはいう。 服従を強いられるこの社会の中で、世の法律などに服従するのではなく、 我が心のままに従えと説くわがまま礼賛の書。
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小学生の道場体験記

今年の夏は、海外からのお客さんなどもあり、いろいろな人が道場を訪ねてくれたが、なかでも印象深かったのが、高校時代の友人の息子である。

夏休みの課題に日本刀のことを取り上げたく、ぜひ道場にも訪問したいと、小学生とは思えない奇特なことを言う。

道場に来て会うと、一本スジの通った子で、礼儀正しく、活発な印象だった。

体験で木刀をふらせると、初めてなのにしっかりとできる。この辺は遺伝子なのか何なのか、端から刀が手につく人もいれば、いつまでたっても、手にも腰にもつかないヤツもいる。実に不思議である。

気合いの声もしっかり出て頼もしい。

その後の型や試斬稽古の見学でも、飽きることなく、集中してみていたのには感心した。大人でも緊張感に堪えられず、一時間あまりで逃げるように帰っていくのもいるのにである。

最後の掃除もしっかり手伝い、質問を受けると、この後刀剣博物館などにも行って刀をみて、課題をまとめるそうだ。

その成果が以下の写真である。

 

日本刀の特徴や、西洋の刀との違い、伝説となっている有名な刀剣、そして道場での体験などが網羅されている。本で読んだだけの知識や、耳学問、ネットの断片的な情報に惑わされず、きちんと自分で体験して、こうした形に落とし込んでいるところがえらいと思う。

昨今ゲームや漫画などの影響で、にわかに日本刀がブームみたいになっていて、それはそれで、刀を知るきっかけとしてはよいとも思うが、一方で、そういったブーム的な現象をみていて歯がゆく思うのは、自分の身体を一度通してみる、実際に体験してみたいという声の少なさである。

名刀の品格や、当時のサムライが何を志していたかは、刀を手にしなければ実際のところはわからない。翻ると、刀を手にすれば、それにまつわる、ありとあらゆることが、細胞レベルで、あたかも眼を開いたかのように観えてくるのである。

それにはもちろん、その人の能力や知性や、何よりも心の正しさ、潔さが求められる。

子供は総じて素直で、心ものびのびとして、垢や澱や浮き世のしがらみなどもないから、開眼するのも早いのだろう。

我が道場が、子供の学びの場になるのは光栄であるし、ブームで刀のことを知り、もっと自分の身体で体験したいという人のために活用されるようであれば、こちらもうれしく思う。

 

日本武徳院試斬居合道

師範・剣士 黒澤雄太

入門・見学案内

 

| 道場に通いたいと思っている人へ | 16:00 | - | - |
刀で心を磨く
人間が人間として正しく、そして楽しく生きていくためには、心を磨くことが大切です。
生まれた時はまっさらで、白く輝くほどだった心も、
年齢を重ねるにつれ輝きがぼやけきて、くすみが目立ち、
酷くなると錆がはじまってきます。
残念なのは、自分の心の状態が自分では見えない人の多いこと。
他人のアラはすぐに目につくのに、いざ自分のこととなると分からなくなるのが人間の性ですから。
では、どうすればいいか。
それは、自分を深く見つめる、内省の時間を定期的に持つことです。
すると次第に自分を客観的に見つめられるようになります。
坐禅や瞑想、ヨガなどもそういう時間なのでしょう。
それらと同じことを、道場では「刀」をもっておこないます。
刀は武士の魂で、いにしえの武士たちは
刀を己の魂を磨く道具ととらえ、
冴えた鋼の肌に己の心を映し、深く自分を見つめていました。
内省の時間は心にゆとりをあたえます。
それが心の栄養となります。
疲れきってしまい、心が悲鳴をあげないように、
いつも心に栄養を補給してあげてください。
時間の流れが早く、そして一日の活動時間の長い現代において、
心の栄養補給は、ますます必要なのではないでしょうか。
| 道場に通いたいと思っている人へ | 12:00 | - | - |
心にエネルギーを補給する
  ある日の稽古のとき、いつもより長めに黙想坐禅をしたので、その感想を門下生・練習生に問うてみた。
 すると、一人の女性練習生が「今日の仕事はとてもハードだったので、黙想のはじめは姿勢もぐらぐらと整わず、心も乱れて困ったなと思った。しかし、しばらく続けているうちに、だんだんと心が落ち着いてきて、姿勢も整ってきた。」と言う。
 道場は午後六時からだが、仕事の都合で遅れてくる人も多い。黙想坐禅を始めるのは午後八時からだ。彼女は黙想坐禅に間にあうよう大急ぎで道場に到着し、着替えてすぐに稽古開始という状態だった。
 黙想坐禅の目的のひとつは、日常の時間から、真剣をもった稽古の時間へと切り替える門であり、玄関である。ここで気持ちを切り替える。心の転換点である。
 それぞれに忙しい一日を過ごし、道場に来て「ほぉぉ」と一息入れる。黙想坐禅は吐く息に重きをおくので、言葉で表すと「ほっ」ではなく、長く均一に吐く「ほぉぉ」である。
 そうやって丹田からゆったりと吐く呼吸に専心していると、自然に心が落ち着いてくる。そして姿勢も整ってゆく。
 日常の慌ただしい時間の中だけにいると、呼吸を整え、姿勢を正す間もないのだろう。精神的なトラブルの多くは、そうした時間を持たないことに原因を求められないだろうか。
 仕事でエネルギーを消費するだけでは、人間はいつか疲れきってしまう。
 週に一度でも構わないから道場に来て、呼吸を整え姿勢を正す時間を持ち、気持ちを切り替えることが生きる活力になる。
 そうやって心にエネルギーを補給することが、仕事の面でもプラスになっていく。疲れきってくすんだ人より、活力にあふれ、血色のいい人が良い仕事をするのは自明のことだ。
 
| 道場に通いたいと思っている人へ | 09:00 | - | - |
仕事と道場は車の両輪
 昨今の勤め人の労働環境を考えると、とても憂鬱な気持ちになる。
労働基準法ほど無視され守られず罰せられることのない法律はない。
長時間労働やサービス残業など問題点は多岐に渡るが、
何よりも働いても報われないという事実が大きいのではないか。
こういう時代に私の道場がどのように役立てるのか、
最近ずっとそのことを考えている。
私は仕事と道場とは車の両輪だと思っている。
その両輪で人生をいきいきと力強く生きていくことが、
この時代を自分らしく生き抜く秘訣だ。
そのための場所と環境を整えるのが、
今の時代における道場の役割のひとつだと考える。
一輪車より二輪の自転車やバイクの方が運転が容易で機動力もある。
四輪の方がより一層安定感は増すが、
人間が四つのことを均等に真面目に取り組むというのは、
なかなかに難しく忙しいことだ。
陰陽のように仕事が陽となり、道場が陰となって、
人生に深い陰影を与え、
また時には道場が陽となり、仕事が陰となって、
日常に疲弊した心をいやすことにもなるであろう。
道場での人間関係には、利害関係が一切ない。
年齢も職業もバラバラだ。
そういう人たちが集まる「場」があり、
そこを貫く「道」があるのが道場のよいところだ。
そういう場と人間関係があるだけで、
心がどれだけ楽になるか。
その価値をもっともっと多くの人に伝えたいと願っている。
| 道場に通いたいと思っている人へ | 09:00 | - | - |
道場怖い
 さて、武道の道場は怖いというイメージがないだろうか。
他の道場のことはよく知らないが、
確かに我が道場は怖いと感じるには事欠かないと思う。
武徳院の横浜道場はお寺の中にあり、
そんなに広くない。
例えば、インターネットで検索して、初めて道場を訪れる人は、
まず寺にあるという時点で敷居の高さを感じ、
やっとの思いで来てみれば、黒ずくめの道着の人たちが、
目の前で刀をびゅんびゅん振っている。
右も左も分からず、頼りにできる人もいなく、
そういう状況に置かれるわけだから不安にもなるであろう。
でも、少し考えてみてほしい。
あなたが興味を持った場所は、真剣で実際に斬る居合道の道場であって、
カルチャースクールや趣味のお稽古ごとのお教室ではない。
もちろん、話しをしたり、質問に答えたりといった対応はするが、
愛想よく歓迎されることを期待されても困る。
あなたは門人になるかもしれない可能性を持った見学者であって、
お客さんではない。
道場での対応は、そういった節度を持った上での対応だと、
どうか理解してほしい。
今の門人たちだって、最初はあなたが抱くのと同じような不安を
抱きながら見学に来て、道場に通いはじめたのだ。
そう思えば、最初に抱く不安も少しはやわらぐのではないだろうか。
追伸 一見怖そうに見える門人たちですが、
みんな個性的で良い奴らです。
それは私が保証します。
| 道場に通いたいと思っている人へ | 11:00 | - | - |
刀の声を聞く
 梅の蕾もほころびはじめ、風は冷たいながらも春の気配が感じられる今日この頃ですが、
そろそろ何か新しいチャレンジをしたいと考えている人も多いのではないでしょうか。
道場にも毎年春になると何人かの入門希望者があります。
1年前に道場に来た人を思い返してみると、1年経って道場にもなれ、
刀の扱いも少しは身体に馴染んできた人もいれば、
残念ながら道場に来なくなってしまった人もいます。
先日ある茶道のご流儀の家元が道場にいらっしゃいました。
稽古を見学され、「ここは完全に修行道場ですね」と感心されていました。
緊張感がぴーんと張りつめていて、生温いところがまったくないそうです。
きっとそれが武徳院の道場の特徴で、その緊張感が心地いいのか、それとも苦しくてやりきれなくなるのかが、道場の一員として居つづけられるかどうかの境目なのかもしれません。
剣の道の要諦とは、刀の声を聞くことです。
自分の心を純一無雑にしなければ、刀の声は聞こえません。
少なくとも、時に心に雑味が混じるときも、その雑味に気が付けなくてはなりません。
純一無雑は大変難しいですが、雑味に気が付くことはそんなに難しいことではないはずです。
そして、そこに気が付けば、自分ががらりと変わります。
気付きを重ねていけば、自然に良い方向に向かっていくものなのです。
自分の中の無限の可能性に、はたと気が付き発見する場所として道場を役立ててほしいと願っています。
| 道場に通いたいと思っている人へ | 16:00 | - | - |
道場は宝
武道の道場、とくに真剣を使う道場などというと、
敷居が高く、とても自分などが通う場所ではないと
鼻から思い込んでいる人が多いと思う。
しかし部外者が抱くあやふやで、不確かなイメージだけで、
道場はこういうところと決めつけてしまっていいのだろうか。
もしかしたら、そこはあなたにとって、かけがえのない宝が
埋まっている場所かもしれないのに。
私にとって武道と、それを実践する場である道場は、
大きな宝であり、その宝のもたらす利益を、
なるべく多くの人に分け与えたい。
特にこういう不安定で希望が見えにくくなっている時代、
経済は右肩下がりで、戦後の日本が築いてきた価値観やシステムに
大きな転換が否応無しに迫られている今こそ、
武道の志す「道」と、それを実践する「道場」の価値を
大いに見直し、それを自分の生き方に大胆に取り入れていくことが
必要なのではないか。
私はそう強く思い願っている。
今後このブログで、こういった思いを
シリーズで散文的に書いていきたい。
これを読んで、よし、道場に行ってみよう、
と思う人との縁があることを祈る。
| 道場に通いたいと思っている人へ | 15:00 | - | - |
自分の運命に盾を突け
岡本太郎の本は、折にふれて読むことが多い。
太郎のエネルギーにふれることで覚醒されるところが、心のどこかにある。
今回は太郎が連載していた人生相談を再編集して、2014年に刊行された「自分の運命に盾を突け」から、印象に残った一節を紹介したい。


生きがいを持って生きたいと願うなら(中略)会社の勤務時間を離れたら、本当に自分のやりたいことをやってみるってことだ。競馬や競輪をやるんじゃなくて、スポーツでもいい、芸術でもいい。そこから新しい自己発見が生まれる。新しい自分がひらけてくる。〜岡本太郎著「自分の運命に盾を突け」より

ここで太郎が言っていることは、正に我が意を得たりで、私の道場の役割もここにあると思っている。
会社や社会においては、どうしても自分を抑え、我慢や辛抱することなしでは生きられないが、それだけでは人間が疲弊してしまう。
自分の中にある、燃えるような生命力に水をかけて、押さえつけてばかりいると、そのうち生命力そのものの力が衰え、生きながら死んでいるようになってしまう。
そうなってしまってから気付いても、残念ながら遅いのだ。

我が道場は、会社や社会の在り方とはまったく違った場所でありたいと思って運営している。
日本刀で鍛錬することを通じて、本来の自己が開ける、そのことに気付く場でありたい。
生きがいを持って生きるとは、自己の生命力の根源にふれて、それを活性化して生きることだ。
剣の道を歩むことで、おのずからその根源的な力にふれて、新しい自分が無限に開けていくこと。
それが日本武徳院試斬居合道が目指すところだ。


日本武徳院試斬居合道
師範・剣士 黒澤雄太

入門・見学案内
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